そもそもこどもたちは、なぜ遊ぶのか。
私たち大人の多くは、日常の暮らしの中で、家事や育児、仕事などいわゆる「生産的な活動」に勤しんでいます。
一方、こどもたち。彼らは人生の中で、遊ぶことを何よりも大切にしているように見えます。たたかいごっこに明け暮れる。落ち葉を集めては放り投げる。いつ終わるともしれない鬼ごっこやドロケイ。これらの行為の数々は、学校や宿題、習い事と比較したときに「非生産的な活動」ということになるのでしょうか。
実は人間だけでなく、多くの動物も遊んでいます。たとえばライオンのこどもは追いかけっこ、サルのこどもは低い木の枝から枝へと渡り歩く遊びを繰り返します。そうやって、大人になったときに獲物をとったり、敵から逃げたりする能力を身につけていきます。こどもたちが遊ぶのは、動物としての本能に根差したものと言えるかもしれません。
遊びを通じて「じぶん」をつくる。その意味では、「遊ぶ」という行為は、こども時代を生きる彼らにとって、これ以上ない生産的な活動なのかもしれません。
しかし、こどもたち自身は遊ぶことに意味や目的を見出しているわけではありません。
こどもたちが遊ぶのは、「遊びたい」からです。遊ぶことそのものが目的なのです。
こどもたちにとって、遊ぶことは生きること、そのものだと思います。
遊ぶ主役は、じぶん
小学生たちは、日常の多くの時間を「誰かが決めた」枠組みの中で過ごしています。学校では固定されたクラスがあり、決まった時間割があり、家に帰ってからも宿題や習い事など「やるべきこと」やルールがあります。
一方、まなび舎ボートでの放課後。こどもたちはあらゆるものから解放されます。「自由」に満ちた余白の中で、彼らが本来持つエネルギーを体の内側から発散していきます。
本来、遊ぶ行為は誰かに言われてではなく、こどもたち自身が自発的に始めるもの。
こどもたちの遊びのほとんどは、彼らの思いつきから突如として始まります。計画的ではなく、衝動的。「遊びたい!」の思いに突き動かされ、その瞬間、瞬間に生まれていくように見えます。
遊ぶとは、こどもたちが、自由にやりたいことをやること。そのシンプルな原点を、忘れずにいたいと思います。